Scene422 阪神・淡路大震災から、来年(2005年)で10年。
Scene724 1995.1.17関連番組
まだ、続くのであるが、一連の関連番組を見ていた。
あの日を思い出した。
あの日から、私も家族もなにか歯車が狂いだした。
思わぬ事に足を取られ、ささやかな幸せが消えていった。
父親も昨年、天界に行ってしまった。
生活するにもめいっぱいの状態は続いており、その中で、目減りはしているので、かなり厳しい。
私は親の死に目にも会えなかったし、現状、維持しているのがやっとの生活をしている。
昨年みたいに何かがおきれば、もう、アップアップかもしれない。
結構、廻りを見ても、大変な人は多い。
確かに大工・左官、工事業者は、震災後、潤ったように見えるが、それは、大手だけ。零細企業は、「早期復興」のお題目で、大手に仕事は取られ、下請けとして薄給で請け負ったわけで、それも、ある時間が経つと、結果、仕事はガタ減り、結局、商売をやめたり、多額の負債を負い、結局夜逃げした話もきく。
そんな中、訳もわからず、「神戸空港」開港、ポートアイランドの沖合展開など、相変わらず目的が曖昧な、公共事業は行われ、ただし、地元は潤わない図式がここでも見られた。
景気は、明るくならず、商売も厳しいままと聞く。
地元で有名な電気店、OA業者、玩具店、靴や、洋品店、戦前から、戦後50年頑張ってきたところがこの10年で消えていった。その人達の再雇用も大きな問題のはずが、結局、個人の再就職問題で消えているようである。
神戸の商業再構築の話も計画と現実とではギャップが生じている。
被災者対策もプロセスがかわり、仮設住宅は、早々と復興住宅に代わり、老人の孤独死が話題になるくらい、復興住宅へ入居した人への心のケアはされない。
国や自治体の補助も薄くなり、それこそ、新たな災害が起きているため、資金難?から回収を始めており、年金もローンで消えるという家庭もあるはずである。
そんな中でも、なんとか前を向かないととみんなで歯を食いしばってきたのがここまでの歴史ではあるが、これから、さらに10年、もう10年と次世代に負の財産は残さず、教訓だけを伝えていけるのかな?
とにかく、「生きてるだけで丸儲け」な人生なのである。
そんなことを思った、1/17であった。
※postは遅れましたが、1/18付でとします。