<訃報>宮川泰さん75歳=作曲家
作曲家の宮川泰さん死去 宇宙戦艦ヤマトなど
「恋のバカンス」作曲 宮川泰さん死去
ここ数年は、紅白のエンディングを見ていても、年を取ったなって感じることが多かったですね。
個人的には、ピーナッツもですが、中尾ミエさんと森山良子さんのバラエティでピアノを弾いてたことなかったかなって。
あとは、関西の番組でも「浪速のモーツアルト」キダタローさんでなく、宮川さんが弾いてらっしゃってたと思います。
とても明るく、気さくな感じだけど、とっても音楽には情熱があった、宮川さん。
そんな人柄が音楽にも表れていたようにおもいます。
こころより、ご冥福をお祈りします。
<訃報>宮川泰さん75歳=作曲家 [ 03月21日 20時35分 ]
「恋のバカンス」「宇宙戦艦ヤマト」など歌謡曲やテレビ・映画主題曲を手掛けた作曲家の宮川泰(みやがわ・ひろし)さんが21日、虚血性心不全のため亡くなった。75歳だった。葬儀は25日午前11時半、東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所。自宅は世田谷区上馬5の30の2の105。喪主は作曲家の長男彬良(あきら)さん。
北海道留萌市生まれ。大学在学中から演奏活動を始め、上京後はジャズピアニストとして活躍。その後、作曲や編曲を手掛けるようになり、レコード大賞作曲賞を受賞するなど、数々のヒット曲を生み出した。代表作は「シビレ節」「銀色の道」「愛のフィナーレ」など。ザ・ピーナッツの育ての親としても知られる。1993年からは、NHKの紅白歌合戦でエンディングの「蛍の光」の指揮を務めていた。長男の彬良さんは「マツケンサンバ2」の作曲家。
21日午前0時ごろ就寝し、同日午前10時ごろ、家族が亡くなっているのに気づいたという。
(Excite エキサイト : 社会ニュース|毎日新聞)
作曲家の宮川泰さん死去 宇宙戦艦ヤマトなど [ 03月21日 20時42分 ]
「宇宙戦艦ヤマト」や、双子の歌手ザ・ピーナッツのヒット曲で知られる作曲家の宮川泰(みやがわ・ひろし)さんが21日未明、虚血性心不全のため東京都世田谷区上馬5ノ30ノ2ノ105の自宅で死去した。75歳。北海道留萌市出身。葬儀・告別式は25日午前11時半から東京都港区南青山2ノ33ノ20、青山葬儀所で。喪主は長男の音楽家、彬良(あきら)さん。
21日朝、自宅で倒れているのを家族が発見した。
大学で作曲を学び、ジャズバンドのピアニストとして活躍。作曲、編曲家に転じ、ザ・ピーナッツが歌った「恋のバカンス」(1963年)が大ヒット。「ウナ・セラ・ディ東京」(64年)で日本レコード大賞作曲賞を受賞した。
(Excite エキサイト : 社会ニュース|共同通信)
「恋のバカンス」作曲 宮川泰さん死去 [ 03月22日 06時13分 ]
ザ・ピーナッツ「恋のバカンス」や「宇宙戦艦ヤマト」の主題歌などで知られる作曲家の宮川泰(みやがわ・ひろし)さんが21日、虚血性心不全のため東京都世田谷区上馬の自宅で死去した。75歳。北海道留萌市出身。
関係者によると、21日午前10時ごろ、禮子(れいこ)夫人が宮川さんを起こそうと自室に入ったところ反応がなかった。すぐに119番通報して救急隊が駆けつけたが、息をひきとっていた。
前日夜は缶チューハイを持って帰宅。とても機嫌が良く、製作途中の水彩画の筆をとり、深夜0時ごろ就寝。その1時間後に亡くなったとみられる。
自宅には「マツケンサンバ2」のヒットで知られる、長男で作曲家の彬良(あきら)氏(45)ら親族が集まった。彬良氏は午後7時すぎ、自宅前で報道陣に対応。突然の死に「寂しいというより驚いています」と話した。父と同じ道を歩み「偉大なソングライターで超えられない存在。でも父親としては本当に面白い人で、家でもギャグばかり言っていました」。26日には池袋の東京芸術劇場で行われる「宇宙戦艦ヤマト」のコンサートでタクトを振る予定で「父の音楽葬になっちゃったなあ」と語った。
宮川さんはザ・ピーナッツの育ての親として知られ、64年の「ウナ・セラ・ディ東京」では日本レコード大賞作曲賞を受賞した。最後の仕事となったのは、10日にNHKで行った歌謡コンサートのレコーディング。その際、紅白歌合戦のエンディングの指揮を13年間執るなど長年の貢献により、同局から会長感謝状が贈られた。
2日に開かれた「第1回渡辺晋賞」にも出席。特別賞を受賞した作詞家・岩谷時子さん(89)の祝福に訪れ、壇上でジョークを連発して会場を沸かせた。
※写真:3月2日に行われた「第1回渡辺晋賞」授賞式で特別賞を受賞した岩谷時子さん(中央)の祝福に駆けつけた宮川泰さん(右は渡辺プロの渡辺美佐会長)
(Excite エキサイト : 社会ニュース|共同通信)
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(Excite エキサイト : 社会ニュース|共同通信)