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伝説のKOBECCOです。  阪神淡路大震災からすでに25年。未だ個人的には、復興できずです(泣)。 駅風呂生活まもなく11年。 現在、コメントは、承認制にさせていただいております。
by ぱんちゃん。
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鎮魂
虫の知らせ、をちゃんと感じることができたら。
なんとなく人が示す「気配」や「サイン」を「予告」にする機会があったら。。。

などと思った先週でした。



「おにぃちゃん、○○がさっき死んだんよ」
という母の言葉に、思わず、叫びそうになったのは会議中のことだった。

先日、妹が他界した。
二十数年に及ぶ病気の末、最後は衰弱死だった。
体温がないので、救急車を呼んだのが、突然死との扱いで警察の世話になっていた。
医者にかかる前だったこと、衰弱の状況がひどいこと、などから、
いま流行のことがここであったと疑われても仕方がない。
ただ、特定疾患で治療費補助がでる病気だったことを説明し、
病名を言った瞬間、刑事の目が凝ばったそうである。
それくらいの病気であり、一生付き合わなければいけない病気だった。
その刑事の同僚もその病気で職制を変えざるを得なかったそうである。

若いときは、治療も受けた。
ホルモンの変化により、男性ホルモン過多になった。
おかげで女性にあるものが永く始まらなかった。

手術も確か二度した。
血が止まりにくいからと同じ血液型だった自分は、数日にわけてかなりの量を採った記憶がある。

でも、それは、一時のことだった。

いつのころからか、治療にいくのが少なくなっていた。
身体に来る異常が、感受性の強かった彼女にはつらかった。
栄養補給剤を投薬されていたが、それを拒絶していた。

それでも、なんとか大人であろうとした。
学校も通信制に変えたが、そこで好成績で卒業した。

いつのころからか意思が強くなっていった。

そして、1995.1.17...
彼女には逆風が吹き始めた。
神戸だけが不況に陥った。
だれもが、仕事を求めていたことで、病弱な彼女のローテーションで仕事がもらえることが少なくなった。
かなり、塞ぎ込む日が続いた。

家族も対応に苦慮した。
父は、強気を押し、母は、優しさを出した。
そして、私は、自立を促すようになっていた。
三人の間で、彼女も悩んだかもしれない。

そして、精神的に参っていった。

それからは、かなり意固地になっていた。
病は、ひたひたと迫っていたのかもしれない。

家でも部屋にこもりきり、食事も自分で取り出した。
家出に近いこともやった。
東京まで泣きながら電話をかけてきた母を尻目に、海でぼーっとしていたらしい。
父の死のときも悲しい顔をしなかった。
母や私にも冷静な対応をしてきた。

ようやく、休みながらでも見つかった仕事をすることにこだわったこともあり、師走の様相となったころには一度危ないことがおきた。
週末は、帰省したこともあったが、これも過度の心配ととられかねないため、正直、連絡が取れる状態を保っていることもあった。

でも、昨年末には、持ち直し久々に「ルミナリエ」にいくことができた。
今思えば、これが最後の家族での外出になった。

その後、体調を崩したが、最後まで医者にかかることを拒んだ。
おそらく、自分がどうなるかわかっていたのかもしれない。

そして、母や母の知人と話すことが多くなったという。
それとない会話だったが、それでも「変わった」と周囲が口にするくらいだった。

私には、反対に話さなくなった。
それは、自分でがんばる といった彼女の意思だったんだろう。




今年の気候は堪えたようだ。
風邪をなんどか引き、弱かった内臓にストレスがでてきた。
それでも、働きたいとアルバイトを探し、働いても休んだりして結局続けられなかった。

今月にはいって、状況はかなり悪化したようだ。
周囲は医者を勧めたが、最後まで拒んだ。
こんな状況でも外出はしていた。
母は、そんな娘を心配したが、私に伝える姿だけで妹は怒ったようで、伝えてこなかったようだ。

最後となった日も朝は、起きて、トイレに行き、ようやく口にできたバナナを一切れ食べたそうだ。
その後、疲れたから横になる と部屋にはいったあと、彼女は二度と自力では部屋をでられなかった。

1時間後。
当日、なんとか以前通っていた総合病院に連れて行くために母が部屋に入ったとき、彼女の体温はなかった。





人は、医者に殴ってでも連れて行くのが親だ、というのかもしれない。
当然、私たち肉親もそれは思った。
しかしながら、投薬を受ける受けないは、本人の意思なのだ。
正直、ここ数年は、家族も悩んだ。
正月に帰省したときには、東京に連れて行き、とある医者に見せるか という話もこっそりした。
仕事についても、知人に相談をしていたし、とあるアートショップで働いてもらうことも考えていた。
覚悟を決めた自分をあざ笑うかのように彼女は拒んだのかもしれない。
そこに横たわる彼女の顔をみて、そんなことも思った。

最後まで自分の意思を貫き、一人前としてみられることを望んだ彼女。

父の死でも泣かなかった母が嗚咽するのを横に、自分は醒めていた。

悔やんでも悔やみきれないが、それを選び、最後まで一人だった彼女の強さをたたえたい。

残された家族が到達した彼女へのはなむけは、これだった。





実際はつらいのであるが、いつまでも引き摺ってはいられない。
彼女のためにも精一杯自分の人生を楽しまなければ。。。

そう思っていた。



今日が初七日。
これから、毎日が彼女の思い出をいい思い出だけにするための49日間の最初の区切りになるのかな。
by panchan1121 | 2007-04-16 09:30 | Whisper
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