道頓堀のキリンプラザ 20年の歴史に幕
昔は、良く行きました。
ちょっと異空間のブレードランナーとかに出てきそうな建物でしたよ。
で、中では、美味しい、できたてのオリジナルビールが飲めたんです。
大阪は、「アサヒ」のイメージもあるんですけど、ここで、面目躍如なかんじでしたね。
映画「ブラックレイン」でロケに使ったような記憶がありますが、老朽化ということもあり、明日で閉鎖になるそうです。
なんか、寂しいですね。
今日は、引用ネタをたくさん上げてしまった(汗)。
道頓堀のキリンプラザ 20年の歴史に幕 できたてのオリジナルビールが楽しめ、道頓堀のランドマークとして親しまれてきた「KPOキリンプラザ大阪」(大阪市中央区)が31日、オープンから丸20年を前に閉館する。ビール製造工場が館内に完成した7年半前から醸造に携わってきたビール職人、萩尾嘉彦さん(54)も別れを惜しむ一人だ。「お客さんの反応を直接見られるのが、大工場では味わえない喜びだった」と、ビール造りにかけた思いを振り返った。
キリンプラザは昭和62年11月にオープン。屋上から「光の塔」と呼ばれる4本のオブジェが突き出た近未来的な建物は、建築家の高松伸氏による設計で、日本建築学会賞を受賞している。
館内のビール製造工場では「ピルス」や「エール」など、味や香りの異なる4種類のオリジナルビールを醸造。1階にあるバーと3階のレストランで飲むことができ、仕事帰りの一杯を楽しむ人たちでにぎわったが、建物の老朽化や設備の劣化により閉館することになった。
萩尾さんは昭和46年にキリンビール入社後、滋賀工場などで一貫してビール製造に従事してきたベテラン。入社当初は、製麦や発酵などの工程はすべて手作業だったが、最近はすべてコンピューターで自動化され、各工程の監視業務が主な仕事になった。萩尾さんは「悪く言えば、ボタンひとつでビールができるということです」と苦笑する。
平成12年5月、キリンプラザのリニューアルで、オリジナルビールを製造する小規模工場が完成した。これまで培った技術を見込まれてビール醸造を命じられ、滋賀工場から赴任してきた。
麦芽糖からアルコールや炭酸を生み出す酵母を生きた状態で維持するため、常に低温を保つよう気を使うなど、大規模工場にはなかった苦労の連続。わずか3人の醸造技術者が、休みも取らずに試行錯誤を繰り返した。
当初はオリジナルビールの知名度もなく、製造の傍ら、広報担当としても奔走。「最初はとにかく知ってもらおうと必死だった」と振り返る。
だが、大きなやりがいもあった。機械任せではなく、一から丹精を込めてビールを“育てる”楽しさ。バーやレストランで、自分が醸造したビールをうまそうに飲み干す客の顔を何度も見た。
「大きな工場では味わえない喜びだった。昔のビール造りの原点に返ったような気がしました」
閉館を知ったときに動揺は隠せなかったが、22日に最後の作業工程を終えた今、やっと気持ちに整理がついてきた。
「一言で言えば残念。でもお客さんやスタッフには感謝の気持ちでいっぱい。ここで身につけたノウハウを、次の職場でも生かしたい」
11月からは横浜工場で勤務。工場内にあるレストラン併設のブルワリーで、オリジナルビールの醸造技術者として新たなスタートを切る。
一方、約7年半を過ごしたキリンプラザは取り壊し時期が未定で、跡地の用途もまだ決まっていない。