名門千葉、降格決定 1部の歴史、44年で途絶える (asahi.com)
オシムさんが、日本代表に引き抜かれてから、毎年降格の危機にあったジェフ。
昭和40年の日本リーグ発足から古河電工として、トップに所属するチーム(他は、日立製作所(レイソル)・三菱重工業(レッズ)・東洋工業(サンフレッチェ)・ヤンマー(セレッソ))として、さらには、本社が丸の内にあったことから、「丸の内御三家」と呼ばれ、それこそ、名選手(渋い選手が多かったですよ、川渕さん、宮本さん、岡田さんとか)を送り出してきました。
あ、やっぱり、自分だと、奥寺、永井あたりからですね。
名門というんですが、ヤンマー、日産自動車のファンだった自分としては、あまり好きじゃないチームだったかな。
Jリーグ発足からだと、中西永輔と城彰二かなぁ。
でも、堅いチームでしたね。外国人も東欧中心だったし、それこそ、ヴェルディやマリノスのような、華のある選手でなく、着実に決める、守れる選手がおおかったかな。
二つの会社が母体となったことで、チーム方針がまとまらなかったのも原因の一つじゃあないかな。
たとえば、ホームタウンの選択、下部組織の運営、チーム編成もスタッフもころころ変わったような。
だから、落ちていいかもしれない。
1年で、というのだけど、オシムさんが抜けた頃以上に選手流出がありそうだし、それこそ、3年で戻るくらいに、チームとフロントを考えないといけないような。
千葉もサッカーはいい選手たくさんでてますしね。
ちょうど、反対だけど、セレッソは、下部組織を押さえ、スカウティングもよく、若い選手を地道に育てたように思います。
そういった、チーム方針を明確にすること、大事ですね。
ヴェルディもどうやら終末の様相だし、Jリーグも発足からもうすぐ20年。
プロ野球と云々ではないけど、地に足の着いたチーム運営がJの目指すところだったのだから、再構築ですね。
名門千葉、降格決定 1部の歴史、44年で途絶える
(2009年11月9日16時34分)
■得点力も強化策もなし
(8日、川崎3―2千葉)
FW巻が拳を芝生にたたきつけた。試合終了。千葉イレブンはその場に座り込んだ。
今季を象徴するような終幕だ。前半に先制するが、守れない。川崎に計27本のシュートを浴び、3失点。「ミスで苦しんだ」と江尻監督。
1試合平均の得点(0.97点)はリーグワースト2位。昨季からの課題だが、開幕時のFW補強はなく、登録選手(23人)もJ1最少だった。
それでいて、また指揮官のクビだけをすげ替えた。7月末にミラー前監督を解任し、生え抜きの江尻監督へ。主に東欧出身者を登用した千葉で13年ぶりの日本人監督。親会社のJR東日本出身の三木社長は「明治の鉄道導入期、多くの技師が15年で外国人から日本人に変わった。Jリーグも発足16年で日本人指導者も育った」と説明したものだ。
そんなに甘くはない。監督未経験の42歳は攻撃サッカーへの転換に失敗し、5分け7敗。MF下村は「1部の伝統を守る重圧は当然あった」。選手の気持ちは空回りした。
フロントの迷走は、06年から続く。イビチャ・オシム監督がシーズン途中で日本代表に引き抜かれ、以後は降格争いの常連だ。その間、監督4人、強化責任者3人が交代し、方針はぶれた。下部組織育ちの阿部(浦和)や山岸(川崎)らはチームを去り、育成の伝統も途切れた。
最終節で逆転した「奇跡の残留」から1年。教訓は生きなかった。DF坂本は「1年でJ1に戻る」と誓うが、道のりは険しい。まずは強化指針の再整備から始めなければならない。(前田大輔)
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