御巣鷹で追悼慰霊式 日航機墜落事故から21年
日航ジャンボ機墜落事故から21年 灯籠流し
どうしても、忘れられない日が何日かあります。
1月17日、9月11日と並んで、私には、8月12日もそんな1日です。
この日、この1便後で大阪に向う予定を立ててましたが、このときに限って、都合で、13日に旅程を変更した私だけに、この事故も遭ったかも知れないことととして受け止めております。
確率はきわめて低いとはいえ、人災かとも言われているこの事故は、不沈神話を消すほどの衝撃でした。
そういいつつ、私にとっては、この航空会社が好きでしたので、ずっと使ってました。
現在、ライバル社に逆転、再浮上できずにもがいているようにも写るこの会社は、こういったときに、もう一度自分たちのおかれた状況、期待を理解して、がんばって欲しいような気がします。
もう、あれから21年。
遺族の方には、亡くなられた人や現地にはいけなくなった人もいると聞きます。
そんな中、死者を弔うことは当然、空の安全を願う日にもなればなどと思うことにしたいです。
もうひとつのことは、
北原 遥子 さんのことです(Wikipedia より)。
1981年に宝塚歌劇団に入団ですから、同期には、黒木瞳、真矢みき、涼風真世、毬藻えり(敬称略)といったタレントがそろっているこの年の入団者の中で、彼女の存在は、とても輝いていました。
入団2年目に入る頃からテレビのアシスタントをしたり、といった活躍は、昨年も記事にしていたような気がします。
今年、彼女の母親が本を出版しました。
ようやく、彼女のことで区切りをつけてもいいということを感じられたのでしょう。
出されたことについては、よいことだと思って、読ませていただこうと思ってます。
あの日、御巣鷹山で亡くなった520人のご冥福と再発しないことを祈りたいと思います。
御巣鷹で追悼慰霊式 日航機墜落事故から21年 2006年08月12日20時56分
520人が命を落とした日航ジャンボ123便の墜落事故から21年となった12日夕、墜落現場がある群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」のふもとにある追悼施設「慰霊の園」で、追悼慰霊式があった。薄暮の同園は、空の安全と家族の冥福を祈る厳かな祈りに包まれた。
遺族らは、犠牲者と同じ数のろうそくに灯をともし、墜落時刻の午後6時56分、上野村や日航の関係者とともに、黙祷(もくとう)をささげた。20年目の節目を過ぎた今年は、尾根を訪れた遺族が、昨年の約7割の73家族280人にとどまった。高齢のため登山をあきらめた遺族がいる一方で、子や孫の若い世代の姿もあった。
おばの一家4人を亡くした東京都東久留米市の小山健太郎さん(23)は、「尾根に来られない祖父母の思いもこめました」と話した。
6月に就任した日航の西松遥社長は、午後から降り出した雨の中を登った。「改めて安全運航の大切さを痛感した。社長の自分が間違えると、会社が間違う。一便一便を大切に、安全運航を積み重ねたい」と語った。
写真:追悼慰霊式で祈る人たち=12日午後7時すぎ、群馬県上野村で
日航ジャンボ機墜落事故から21年 灯籠流し 2006年08月11日22時02分
乗客・乗員520人の命が奪われた日航ジャンボ機墜落事故から、12日で丸21年を迎えるのに合わせ、11日夕、墜落現場の群馬県上野村の「御巣鷹の尾根」のふもとを流れる神流川で、恒例の灯籠(とうろう)流しがあった。遺族らは、地元のボランティアが奏でるアコーディオンの調べにのって川面に揺れる灯籠に、故人をしのんだ。
シャボン玉が浮かぶ夕暮れの空に向かい、遺族らは、ペンライトを振りながら、犠牲者の一人で歌手の坂本九さん(当時43)の「見上げてごらん夜の星を」などを合唱した。
20歳の妹を亡くした大阪市の泉谷(いずたに)透さん(47)は遺族代表のあいさつで、「死者をしのぶだけでなく、空の安全を思い出す機会にしたい」と語った。
写真:ジャンボ機墜落事故から21年。灯籠を流す家族や知人たち=群馬県上野村で