先日、あることで、神社の雅楽の催しを見る機会がありました。
座ってみていると、時々うつらうつら(ぉい)。
そこで、神主さんの祝詞と女性の舞をみてて感じたこと。
よく、流れるようにというのですが、ここでは、止めがしっかり入ってたんです。
でも、その止めは、すごく自然で、かえって自分に祝詞の内容がわかったし、舞についても、その止めから次の止めまでの流れがよどみなく、綺麗にみえました。
美人だからでないですよ、それ。
素人なので、これが間違いなのかもしれませんが、よく、わからないのがありがたいということを昔聞いたことがあるのですが、そうではない。
それは、自分自身の満足であって、そもそもの流れを保つには、「止め」も大事な所作なんだと思いました。
で、この blog を止めるという記事だと思った方。
残念(え)。
自分自身では、止めと流れを作っているので、まあそっちでないんですね。
つまり、何をやるにしても、ポイントごとに緩急をつけたり、きちんと止めることで、そこまでのことがまとまったり、次の準備ができたりするんですね。
ずっと同じスピードで走り続けていてもいい走りができるわけではないんでしょう。
さ、昼ごはん食べたら、仕事仕事(え)。