「あ、来週、ちょっとイベント状態にするってメールをママがだすから、○○さんもくると思うので、△△さんもよかったらどうぞ。」
という、リアルに集まるお店のママが話したことを、伝言である女友達(この表現も微妙なんですけど)にしたんです。
その後、 call back がありました。
△「まだ、初七日なのに、非常識でしょ。」
自「うーん、そうなんだけどね。ここまで、がんばってきたから、一応だよ。
私が薦めた訳でもないんでね。」
△「そのへんは、ぱんちゃんさんが先輩でしょ。」
自「でもね、自分も初七日の日に解禁したんですよ。
それに、そこまで、なにも連絡とってないとは思わないし、
今日は、実家に戻ってお母さんと姉妹とお話したりしてるでしょ。」
△「でも、私は○○さんは、行かないと思うけど。」
自「うん。でも、一応、△△さんが、連絡してって
この間おっしゃったから連絡したんですよぉ。
だから、来ても来なくてもいいし、3日間あるし。。。」
△「でも、連絡したら、かえってまずいんじゃあない?
ママにも言っておいて。」
自「わかりました。また、連絡しますね。」
ごもっとも。それは、しなくて、彼女が来るのをみんなで待ったほうがいいというのも、常識的な話です。
そして、大学時代からの友人同士だから、気心もわかっているという彼女の言い分も間違ってないかと思います。
たぶん、この間の機微も含めないとわからないのですが、実際、このお店のママさんと現在喪中の友人は、電話で話をしているんです。
で、3日間あることや、その家族にもよりますが、自分のときは、もう、キレそうだったので、それで行ったのも事実なので、まあ、ママさんと彼女の間のことだし、たぶん、電話で話しているだろうから、「あ、いいかな。」って思ったんですね。
それに、ママさんもご主人を癌でなくされていて、その話も聞いたことがあるのです。
仮に、自分なら、このケースだと、一度顔を出してから、また、旧盆までは、自粛するかな。
確かに常識というのがあるのですが、当事者間では、ケースバイケースもあるだろうし、今の時代、携帯やメールがあるおかげで、 p to p の交流もできるんですよね。
なので、他人がとやかく言うことはなく、その当事者の気持ちを察して上げられればというのが、自分の感想。
お互いが気遣っているのですが、そこにあるのは、「彼女ならそうだと思う」という言葉。ここには、実は、本人がいないのかもしれない。
当事者としてもまあ、「他人の見た目」もありますから、ある程度おとなしくしたほうがいいのも事実ではあると思います。
とはいうものの、医者の診断どおり、宣告から一ヶ月で急激に衰えた父親の最後を見とれなかった彼女のつらさはわかるし、家族への思いもあるだろう。
精一杯、父親を見送ることをしているだろうし、宗教によっては、1年間は喪に服すことになったりする。結構、死に際のことというのは残るものである。
でも、それを家族にぶつけるわけにはいかない。
そんな、受け皿の場所でありたいというママの気持ちも、わかるような気がする。
いずれにしろ、人付き合いというのは、「まずは他人同士」ということを忘れずにできればいいかなと思うし、知らず知らずに自分の常識を強要していることもあるかと、反省した日でした。