鉄腕稲尾和久さんが急死、元西鉄のエース
[2007年11月13日3時14分]
元西鉄ライオンズの投手、稲尾和久氏が13日午前1時すぎ、悪性腫瘍(しゅよう)ため、福岡市内の病院で死去した。享年70。10月30日、福岡市内の病院に入院し検査を続けてきたが、この日、容態が悪化して帰らぬ人となった。
現役時代は、まさに伝説の連続だった。西鉄に入団した56年ルーキーイヤーから3年連続日本一に貢献。58年の日本シリーズでは巨人に3連敗しながら、稲尾の4連投で4連勝。奇跡の逆転日本一の主役を演じ「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれた。61年にはシーズン最多タイの42勝を挙げるなど、日本プロ野球界の歴史に大きくその名を残し、プロ野球ファンの心に大きな印象を残した。西鉄の監督などを務めた後、ユニホームを脱いでからは、評論家として野球界の発展に寄与していた。
日本が生んだ鉄腕。「神様、仏様、稲尾様」と呼ばれる伝説の投球を生んだ九州福岡の地を愛した右腕が伝説の人となった。
(nikkansports.com > 野球)
ジャイアンツに3連覇したときは、ほぼ稲尾だけで勝った年もあったと聞きます。
特に58年は、7戦のうち6試合に投げ、4回は完投で、しかもサヨナラホームランも打ったので、「神様、仏様、稲尾様」といわれるようになったとか。
自分が物心ついたころは、選手引退してましたので、全盛期はわからないんですが、親とかに言わせれば、あのころの西鉄の野武士軍団の一人として有名だったそうです。
監督としては、結果に恵まれなかったでしょうか。
九州では、西鉄が西武になり、関東に行きましたがダイエーの福岡移転を喜んだのではないかな、なんて思います。
腫瘍とのことですが入院から短く、進行が早かったのでしょうか? この年齢では、ちょっと、信じられないです。
別府に「稲尾記念館」ができたということなので、それがいい置き土産になったかもしれないですが、あまりにも突然に思えます。
生前のご活躍を偲び、こころよりご冥福をお祈りします。
ぼたん さん
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