そして、2日経った。
父がいなくなったことの寂しさよりも、闘病生活から解放された安堵感というか、疲れ、そして、これからの生活などの現実を突き付けられたことへの不安が、頭をよぎっている。
このだらだらの中で書いたかもしれないが、父は、まじめな人だった。
まじめな故に、摩擦も多く、でも、成果は残していた。
母は、現実的な人なので、家計の切り盛りにはかなりのスキルがあり、そこが父にはいやだったのかもしれない。
ここ二十年は、空回り気味の父と現実しか見ていない母との間で時折摩擦があった。
断続的だった。母についたこともあったが、絶えなかった。私もそれが嫌になり、飛び出すように新天地を求め、東京に出て来た。東京経由SFO行きをたくらんでいたが、結局、東京に落ち着いてしまった。
父の人生に悔いはあったのだろうか?
ないことはなかったとは思う。その時々で父は、まじめ(きまじめかも)に目標に取り組み、成果を残して来た。
たしかに、事故や怪我、過労などからくる病気などで、途中で断念することもあったにせよ、充実していたのではと回りは思っているが、本人は、方向修正の人生だったのだろうと察する。
おそらく、悔しく、おそらく、合法的に生き続けることを断念したのでは? と思う。そういう意味では、無念だったろう、と思っているが、その気持ちは、回りにはそう、伝わってはいない。
ただ、いま、目の前で、デイサービスセンターの行事での写真から構成した、父の遺影をみると安堵感と目標を失ったある種うつろな表情に受け取れる。
無念ではなく、ある部分、放心状態のままだったのかもしれない。
目的を失って、惰性で生きている感じだったのかもしれない。それが、隠居と言ったとしても、父には許せなかったのかもしれない。
人生って、なにが正解なのだろう? どう生きればいいのだろう?
正解はないと私は思う。その時々で精一杯に生きるのが、いい人生なのかもしれないし、あるひとつのことを全うするのが、いい人生だとも思う。
自分にとって、ベストを尽くせたか?後世に伝えることを持っているか? が私にとっては、人生のテーマのひとつである。
入退院を繰り返し、最後は、1カ月くらいを病院でつぶした父の場合、まだ、病院に父がいるという気がしている。
いま、世帯主の切り替えを始め、各種手続きに悩殺される毎日なのだが、これが落ち着いて、満中陰が終わったころに、ようやく、本当に父がいなくなった実感が沸いてくるのかもしれない。
それとも、正月に参拝しなかった時に感じるかもしれない。
でも、父の意志は、心の中に生きており、問題の時の判断材料になっている。
おやじ、ありがとう。
何もあなたを喜ばせなかった。期待には答えられなかった。
遅くなったけどあなたから得たことは、次の世代に伝えていくつもり。
安らかにお眠り下さい。
(でも、おまけ編もあとで作る予定)
※すみません、備忘録を兼ねるので、だらだら書いてます。
コメントされても削除するかも知れません。
文面バラバラです。
悪しからず。
疲れたぁ~。